2010年08月09日

この子たちの夏~1945 ヒロシマ・ナガサキ




20年ほど前

65年前 ヒロシマ・ナガサキの被爆者のかたの

封印されていた 声 を語り継ぐために




木村光一さんの主宰していた

「地人会」という団体が毎年 朗読会を行っていました。

有志のボランティアの女優さんたちも
毎年 全国各地で公演を行い

地域のわたしたちのような 母親たちも
自主上演という形で 活動を行ってきました。



毎年書いていますが
この時期だけは、台本をとりだし声をだし
読み上げることで・・・この子たちに逢いに行きます。


この子たちの夏~1945 ヒロシマ・ナガサキ


平和に日々をすごせることに感謝しながら

風化されつつある 語り継ぐ すべ が少なくなることに怯え

知りえる少しでも多くのことを 

次代を担う子供たちへ少しでも多く伝えたいです。






しずぎんユーフォニアの こけらおとしのときに

朗読した夏





知り合いに声をかけていただき

地域で 茶業会館をおかりして朗読した夏




数え切れない この子たちとの夏


いつも 側に 自分の子供たちに聞かせ続けてきました。





小学校低学年のときに息子にはじめて読み聞かせたとき

ポロポロと涙をこぼし 聞いていた横顔を忘れません。






ヒロシマとナガサキの 詩を

今年ものせます。


遺骨さえなく、爆弾でとけてしまった子への想い
どんな姿でも幽霊でもいい、
母が子と逢いたい想いをつづった手記です。


生きたかった娘さんの亡くなるまでの想いです。









なんぼうにも

むごいよ

みんなにもうわすれられて

埋もれてしまった

ほとけたち

ほったらかしの

ほとけたち

なんぼうにも

むごいよ

月のかたぶくばんには

ゆうれいになってやってこい

母さんとはなそうよ

うしろむきになってはなそうよ


声なきものへ









遺稿


あの青空を仰いでみたい


          末次君子


明日も輸血がはいりますように

白血球よ おまえ そんなに増えないでおくれ

今日は 二月五日

入院して 四ヶ月と二十八日

次は 半年 一年



病状はどっちを向いているのかしら

死ぬために治療するなんてムダよ

先生 どうすればよいのかしら

五ヶ月もこんな生活をしていると 今 調子がよいのか 悪いのか

さっぱりわからなくなってしまった

どうして こう泣けてくるのかしら

思いきり大声を出して泣いてみたい

坂本さん あなたも心の底で 嘆いているんでしょう

わかる気がします

でも 私の気持ちもわかりますか

白血病なんて やはり 自分自身にしかわかりませんネ

そういう人の事が 誰にもわかるはずがない

自分自身で苦しんだ

苦しんでも なおればまた 別なんだけどなァ




本当にもう一度 よくなるかしら

もう一度 よくなってみたい

生きているだけの生活 みんなに迷惑かけたくないのに

いくらものぐさでも 自分の血ぐらい自分で造りたい

少し悪ければ 輸血 点滴を

すぐしてもらえる

それでも 悲しくなるばかり

どんなに長くかかり 年をとってもよくなれば どんなにでもしてやるって兄が言った

そうだ 何だかうれしくてうれしくて 明るく 元気に朗らかに

いつでも どこでも そうであれる人間になりたい

パンプスが もう一度はけるようになるかしら

お母ちゃんは いつまでも元気でー

悪くなれば 輸血をしてもらえる

それでも 感謝する気になれないの

そういうものかしら 一番遠くに離れて行きたい

”どうにでもなれ”のくそ度胸 そんな心臓になってみたい

一生食べていくには 何を身につけようかしら

お母さん 私がもしなおって 一人立ちするまで元気でいてください

自分のこの手で 料理がしてみたい

またいつの日か よいこともできるでしょう

つまんない

つまんない

つまんない

苦しむ

苦しむ

苦しむ

こんなに苦しいものだったら 早く死んでしまいたい

死ぬのなら 今月中に死にたい

斑点が出ないといい

舌がなおれば

胃がなおれば

むつかしい

誰にもわからないこの肉体の嘆き

早くなおりたいと思うこともあったけど この病気は なおらないでしょうネェ




私は二十五歳

ああわが身がかわいい

だれでも 年に関係なく でもでも 私はやっぱり苦しい

この青春を

白血病よ 君はどこまでむしばむつもりだ

勝ってみたい

必ず勝ってみせる

春になれば 暖かくなれば また少しはよくなることかと それを楽しみにとどめています

死ぬって どういう事ですか

お医者さんだって ほどこしようがないでしょう

どうして こんな病気になったのかしら

前世の契り浅からず とでしょうか

憎い 原爆が憎い

ケネディさん あなたも憎い

もう 実験なんてしないでください

それでなくても 小児白血病があるというのに

もう一度 よくならないんでしょうか

そうなら 一生が短いほど 私はしあわせです

お母さん よくなることがあるかしら

今は 悪いところばっかり

死ぬんなら 早いほうがよい

でも 本当は よくなりたい

死ぬんなら今日じゅうがよい

胃腸が 四六時中張ったよう

顔がむつかしい

口中が気持ちわるい

足先がもえるよう

いま よいところがないんです

病んで 苦しんで死ぬのはいやだ

もう一度 普通の娘になってみたい

お母ちゃん お母ちゃん お母ちゃん お母ちゃん お母ちゃん お母ちゃん お母ちゃん





神 神 神 神

私のお母ちゃん 病気にならないで

せめて 一週に一度 自分で自分の血を造り 本当の普通の血を造ること

メンスになること

お母ちゃんが明日くる

輸血が明日もよくはいりますように

一と三のつく日は 強い日

いつも 強い日でありたい

ごみごみしても 街中がとても寒くても 外気にじかにふれてみたい

お母ちゃん お母ちゃん お母ちゃん 

お母ちゃん お母ちゃん

私の一番好きな人

お母ちゃんが 一番いい

どうぞ 痛みがほかに出ませんように

また 輸血が減り 舌もなおり 顔のハレがもう少し小さくなり

調理ぐらいはできて 朝の散歩ができるとよいのに

お母ちゃんが病気にかからないようにお願いします

私がよくなるまで

私だって もう一度 元気になることがあると思うんです

私 もう少しよくなったらね 冷蔵庫をきれいにしたいと思っているんですよ




私 いま二十五歳 お母さんに甘えたっていいでしょうネ

自分で 60から70%は血を造ること 白血球が7000で動かないこと


斑点よ 出ないでおくれ

藤本先生

石田先生

試験台でもかまわない どうしてもなおしてほしい

よくなることがあるかと明日を楽しみにするよう

いや もっと先の先を目標に闘病生活をしようかと思いますが とても苦しいです

本当は もっと気短で すぐ泣けてきて

明日をのみ思いわずらって苦しいんです

あの服と あのパンプスで

あの青空を仰いでみたい




私は だれにも文句を言おうとは思いません

よくなろう

生きよう

生きぬこう




昭和三十七年二月十六日              死亡







健康で日々を送ることのできる 今 に感謝したいと思います。



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Posted by mama at 13:01│Comments(5)ゆめと出会い
この記事へのコメント
「無念」という言葉しか思いつきません
Posted by まぐ at 2010年08月09日 13:23
mamaさん、こんにちは。
涙がとまりません・・・。

今の政治家の中には・・・
「日本も武装勢力を強化すべきだ。核を保有すべきだ。」
という、考え方の人もいるそうです。
本当・・ 恐ろしいです。

その人達にも、是非読んで欲しいと思いました。
Posted by アイアートアイアート at 2010年08月09日 16:20
たびたび・・・ (^_^;)

武装勢力ではなく、
軍事力でした。 (^_^;)
Posted by アイアート at 2010年08月09日 21:24
まぐさん

コメントありがとうございます。

自分の身に置き換えることすら。。。
どうにもできなくて
本当ならば 被爆者であることを知られると
いろいろな 見えない差別を受けてきた方々

まだまだ 戦後 65年 
傷はいえないまま
悲しみはいえないままです。
Posted by mamamama at 2010年08月10日 21:08
アイアートさん


コメントありがとうございます。


泣けて泣けて 毎年ホント切ないのだけど
やっぱり忘れてはいけないと思って今年も載せました。

悲しいけど伝えることしか出来ないし
残されたわたしたちの義務だと思うの。


終戦記念日の日にも もう少し
被爆者のかたの詩を載せます。

読んでくれてありがとう。
一緒に泣いてくれてありがとう。
Posted by mamamama at 2010年08月10日 21:11
 
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