2011年08月30日

調理リハビリ





毎日の家事が

1番リハビリになるって。

退院前に言われていたように

本当に疲れ方が

想像をこえています



ぼちぼち。。。

と言い聞かせてます。


退院してから

PCを開いての

リハビリする余裕もなかったので


画像をあげながら


画面を追うリハビリ兼ねて。。。






本当は

病院での調理リハのときに

やる予定だったけど

予定が詰まって

出来なかったメニューぶん。^^



おうちごはんでの

スタンダードなメニュー。





日頃 

うちごはんメニューをやるのが

いちばん 

時間の目安や

自分の

段取りがわかるから。。。




うす味の 

おだしで煮ふくめた

肉じゃが、

少し京風^^





あと、

これは牛の切り落としで作った

牛蒡の炊いたもの




常備菜のつもりで冷凍にしようと煮たけど



こちらのは

今朝・・・

もう残りがなかったです。

濃い目の味付けだから

私は味見もしてないけど・・・



ま、美味しく出来たってことかな。^^

自分のお惣菜のなかでは

ハズレナシのはずだったから

やっぱり失敗無しは嬉しい。。。







のんびり ぼちぼち。。。


体力回復の通所リハビリとともに

やれること 

選びながらこなしたいです。。。






追伸^^

肉嫁ちゃん

この画像・・・

美味しそうにみえますか?^^



  


Posted by mama at 08:14Comments(7)おうちごはん

2011年08月24日

身体と心のリハビリ





入院して
リハビリには、


救急搬送された
急性期の病院のリハビリと

回復期の病院の
リハビリがあることを知りました。


ひとりの患者として

リハビリの持つ役割の大きさ
自分がリハビリして感動したことを

何かの形で残したくて。。。


上手く表現出来ないかもしれない、
不適切な表現をしてしまうかもしれないけど

これから、ここを読まれたかた

ご自分でなくても
ご家族がその立場になるかも知れないから


介護の現場などは身近にありますが

リハビリの病院については、
まだまだ未知な部分もあるかなと
書かせていただきます。


まだ、
私のリハビリも継続していますので

加筆修正することを、
ご理解ください。

継ぎ足しの記事が
長くなると思うので
覚悟してください。。。

興味のない方はスルーで^^;





私が先日退院した
回復期の病院は

新卒の若い先生方が
介護を兼ねながら?な状態で


自分たちより
大きな体の患者さんたちを

麻痺した体を支えて
歩行訓練等をしています。




20年前に

急性期の病院で
右大腿骨を骨折した息子が

3ヶ月お世話になりました。


その病院のリハビリのイメージと
自分が今回お世話になった
三島の急性期の病院の
リハビリのイメージが同じだったため



転院して今回お世話になった、
回復期のリハビリ病院の様子に

想像以上のリハビリの内容に
最初・・・・・言葉を失いました。




私の状態は
身体を縦に真っ二つ
身体の左側半分の麻痺でした、

排泄機能の部分で当初のみ

不安はあった時期もありましたが、

自分でトイレに行き排泄することが出来ました。


ほとんどの脳疾患の患者さんは

自分の意思で排泄ができません。

車椅子の方が多く

管を通し、オムツ。






その状態の患者さんたちを

看護師さんや、介護師さんと同様に
介助しながら


理学療法師、
作業療法師、
言語療法師

である先生方は
リハビリ訓練を行います。

重い麻痺の患者さんも、
麻痺した側の
足が、膝が、曲がらないように装具をつけ

意思が伝わらない状態の患者さんにも

繰り返し言葉を伝え続けて

先生方の身体で患者さんを支えながら

一緒歩くにとをする

過去の歩行を思い出させるように、
根気よく繰り返し歩き続けます。


そんななかでも感覚の無くなった身体は
排泄の時間を選びません

人が生きるために
排泄は大切なこと、必要なこと。


若い先生方が、
慣れているとはいえ

タイトなスケジュールのなか
ご自分の体をはって訓練をされている。

毎日の訓練で
ご自分の身体が悲鳴をあげる日もあるでしょう。


自分の息子、娘とさほど変わらない先生方

黙々と訓練されている様子は
本当に頭が下がる想いでした。







繰り返し繰り返し

麻痺した体を動かす訓練


数ヶ月の入院リハビリで

本当に少しずつの歩みでも
装具をつけて、杖を使い、

自力歩行という目標まで、
根気よく

本当に
本当に
少しずつの
歩みを固めていました。





私は退院まで

あるひとりのお父さんに

毎食事時に


反応を確かめるように

挨拶した。



リハビリ時にも

声をかけ

少しの反応が
足を動かす力になればとの想いで
声をかけた。


ひとなっつこい笑顔が大好きでした。



いつかその方の自力歩行につながればと

そのくらい、
リハビリの無限の可能性を信じていました。

もちろん、今も信じています。。。









私の麻痺は病院のなかでは

装具も必要なく
杖も必要としない

極軽度なものでした


ただ、病巣が神経の集まるところであったため


傷もないのに
左側の手足に、
脳から勝手に痛い!!と信号を送る

私の左手は
いつも
たわしの断面か
荒いやすりを撫でているような感覚です。。。

身体のバランスを司る神経を潰したため?
体の平行感覚が損なわれ

勝手に疲労して
目眩と吐き気を起こす



ぱっとみて

他の患者さんたち。。。

(おばあちゃま)に

『あんたはどこも悪くなさそうだけど、
どこが悪いんだね?』



と言われて




『ここ。(頭を指さして)頭が悪いんだよ』

と答えていました。


自分でよく

『なまけ脳で指令だして困るのよ。。』
と言っていました。


これは私にしかわからない

本当に

麻痺の
痺れも
痛みも

自分にしかわからない。


最初はなかなかそのことを受け止めることが出来なくて、

情けなくて。。。

毎朝、
左手がやわらかなお布団にふれるだけで
痛みで。。。飛び起きる

夢だったらいいのに・・・

と目覚めていました。


麻痺が重いかたを思ったら

本当に贅沢な弱い心です。



痺れの痛みで目が覚めて


クスリがふえ続けて

痛み止めだけで

今は三種類

どこまで

痺れ、
痺れの痛み、
目眩、
吐き気と

向き合い付き合えるか





痺れや痛みのクスリを発明したら

その方は

ノーベル賞を貰えるくらい

新薬は
遠く彼方にある状態




受け止める
受け入れる

ことからはじめて
病気と向き合う



わかってはいても

ここまでくるのに
二月かかりました。






リハビリでは

目が見えないことによる

バランスが悪いこと=目眩、吐き気


その中で

日常生活に

戻るための訓練をしました。



普通に買い物にゆき

普通に料理をつくる


車を運転するのはしばらく控えるため


目眩でゆらゆらするけど


対抗して歩いてくる人すらぼやけてるけど

移動の手段として

自転車に乗る練習をしました。


ごくごく普通なことですが


ひとつひとつ


いまの自分にできることを

増やして来ました。




何をやっても

疲れかたが半端なくて


退院しておゆうはんの支度しても

包丁を持っても

手元が見えない怖さ


血液をさらさらにするクスリを服用しているため

万が一切ったりしたら

血が止まらなくなる


どこかにちょっとあたるだけで

体中に

痣ができる


普通のことをすることが


当たり前じゃならなくなった。



通常の三倍位の時間を費やし、

勘で、身体が覚えている感覚で包丁を使い


味覚が鈍くなった状態で調理する





けど、人間の体って凄い。


五感


足りなくなった機能は


他で補おうとするんです



味覚がわからないと、
匂い、香りに敏感になり


見えないと、
耳で補う。


先生の話し声で

後ろを通ったとか

いまリハビリ室のどの辺りにいる

とかわかるようになった。


一度担当になった先生は

皆さん挨拶してくれた



中には見えてないとき

目の前にきて

手を目の前でさえぎり

反応を促してくれた


当たり前のことができないじゃなく

できない患者への促しを

投げ掛けをしてくれた先生に

本当に感謝した。



ほとんどの先生方が息子と同じ年齢です








以前、sunriseさん


こんな風に言われたことがある。



「mamaさんは、

ブロガーさんのとか整体とかで

人に身体をさわられるの苦手でしょ(笑)?」


て言われていたけどそのとおり。。


本当に最初は困りました。^^;




けど困ったのは

最初だけでした、

セラピストである先生方の



魔法の手


想像以上に

麻痺した身体の痛みや辛さを

取り除いてくれたからです。



多分、

痛くしないセラピストさんのとこなら…

身体が悲鳴をあげたら行ける位に

人見知りもなくなり^^

成長しました(笑)






リハビリについて

まだまだ書きたいことはあるけど

追記していきます。





感謝の想いでいっぱいで

たくさんたくさん増えそうです。





あと。。。
コメントいただいていて
レスができていなくてごめんなさい

リハビリの記事だけは先に残したくて。。

ほかは。。
職場復帰するまで
自分に区切りをつけるまで
待っていただけますか。。。
勝手をいい
本当にごめんなさい。






続く・・・・・σ(*´∀`*)






  


Posted by mama at 21:25Comments(5)ひびかたり

2011年08月22日

幸せものです。





前の日記のあとに

静岡の病院に転院しました。


この二月

いろいろな事がありました。


たくさんの友人たちが


三島と静岡に逢いに来てくれました。

病気になって、

麻痺の痺れの痛みと
目眩と吐き気、
自分でコントロール出来ない疲れ



心が折れそうなたびに

何も言わずに話し聞いてくれたり

逢いにきてくれた

スタンプカードを作りたくなるくらい

何度もきてくれたママ友さん


アウスタの応援団の会長さん

スタジアムDJさんと癒しの笑顔のお嬢さん


普通のかーちゃんに

元気をわけにきてくれた。


これで泣いてばかりいたらバチがあたる。









転院してから一月。



先週終わりに退院しました。



最初の入院。

転院。

そして退院。


今日は退院してから
通院リハビリのスタートの日


転院先の回復期の病院では、

最後の10日は
朝8時40分から夕方5時まで
体力づくりのために
フルタイムでリハビリ室にトレーニングで居させていただき

入院当初に比べたら
トレーニングメニューもたくさんこなせるようになりました。

リハビリのことは

落ち着いたら

今回のこと・・・いろいろ書きます。。。









退院して数日


これだけやったけど

こんなに体力まだまだなんだ

痛感しています。


計算通りにはいかないこと

この二月で十分受け入れてきたのに

本当に学習能力ないな…です。





通院リハビリ終えて

まだまだバランス悪いこと

左足の力のなさ。。

体力回復へのハードルの高さ。

復職へのハードルの高さ


考えたらきりがないけど


どうしようもない壁にぶち当たる




けど、こうやって退院出来たこと


慣れたキッチンで好きなお料理が出来ること

みんなに心配いっぱいかけちゃったけど

職場にも迷惑をいっぱいかけちゃったけど

35年の付き合いの親友たちに
静岡に転院してはじめて連絡して
怒られて、いっぱい泣かれて

何かあれば話してくれて
逢いにきてくれる友人がいて


泣いてばかりいた日から

ずいぶん強くなったし
いろんなことを受け止めるようになった。



今日、通いのリハビリのあと


病院から、めちゃめちゃゆっくりでしたが

休憩を三ヶ所でとりながら

歩いて帰った



無謀すぎて

最後に力つきて

元気なときにお世話になっていた

お店の灯りに…すいよせられ

立ち寄らせていただきました



一人で泣くことは沢山あっても

家族以外で泣いたのは

親友とまぐさんが病院に来たときくらい


今日、勇気をだしてお店の戸を開けて


お嫁ちゃんの顔みるまでは

泣かないつもりでした。


覚えてくれたこと

嬉しかったし

わたしなんかに泣いてくれて

びっくりした

けど嬉しかった






ありがとうございます。



動けなくなって、

みえたこともいっぱい


味覚障害が残ったけど

香りに敏感になった

みえなくなったけど

そのぶん聞き耳立てるようになった


リハビリの先生方は目で識別出来なくても

声を聞けばわかるようになった




あと、もともと金縛りにあったり

霊感が強かったり、

妙に人の心を感じ取れるときがある。

自分に関しては鈍感みたいだけど…^^;


現実に静岡の地震のとき


妙な感覚に緊急地震速報を聞きたくなくて

あの夜、携帯を

布団に巻き込んでしまった。









これからも

想定外なことだらけだと思うけど






今夜、嬉しかったこと




感謝の想いを忘れない。





ありがとうございます。



本当に本当に



わたしは

幸せものです。
  


Posted by mama at 20:43Comments(10)おうちごはん